育ててくれた街を、暮らし続けたい街に 建設会社が農業に取り組むわけ

育ててくれた街を、暮らし続けたい街に 建設会社が農業に取り組むわけ

あぐりいといがわ(糸魚川農業興舎)が生まれたのは、2006年。糸魚川市を拠点とする総合建設会社、谷村建設のグループ会社として発足しました。

なぜ、建設会社がまさに畑違いの農業に取り組むことを決め、10数年にわたって農業を続けているのか。今回は、あぐりいといがわの「はじまり」についてお話ししたいと思います。

 

「地域の役に立ちたい」創業者の強い想い

あぐりいといがわの母体である谷村建設は、1938年の創業以来、「地元 糸魚川に育ててもらった恩返しをしたい」という創業者の想いを受け継いできた会社です。

株式会社谷村建設のHPはこちら


糸魚川市の中心部にある、谷村建設本社社屋。


本業である建設業や港湾事業に力を入れることはもちろん、「市民が地元で楽しく過ごせるように」と、市内に映画館やボウリング場を造ったり、「観光名所を増やして糸魚川を活気づけたい」と、当代随一の建築家、芸術家、造園家の技を結集し、荒涼たるシルクロードの遺跡を思わせる建築が美しい「谷村美術館」、日本庭園「翡翠(ひすい)園(えん)」「玉翠園(ぎょくすいえん)」などを建設したりと、地元への想いを形にしてきました。さらに、建設業を飛び出し、「市民が誇れる糸魚川の名産をつくりたい」と、糸魚川市の花「ササユリ」の研究にも長年取り組んできました。



ライトアップされた谷村美術館。


常に「糸魚川のために何ができるか」と考えて、実際に動きだす。そんな谷村建設が農業に取り組もうと決めたのは、実は自然なことだったのかもしれません。

「一生、糸魚川で暮らしたい」を実現するために

あぐりいといがわが生まれる少し前、谷村建設ではある勉強会を1年半にわたって開いていました。「糸魚川の困りごと」を調べ上げ、谷村建設として解決できそうな地域課題はあるか、解決は難しくとも、取り組むべき課題はあるかを考える会でした。

勉強会で明らかになったのは、農業を続ける市民が年々減り、農地も手放しているという現状です。農業を続けることでのしかかる負担は、社員の半数が兼業農家である谷村建設の社員も痛感していました。人手も必要で、機械や肥料にかかる費用も馬鹿にならない。農業従事者の高齢化も進み、後継者不足も深刻です。

本当なら、先祖伝来の農地や農法は、わたしたち子孫にとって財産であるはずです。

農地を守りお米や野菜をつくっていれば、非常事態になっても家族や身近な人たちが食べることには困りません。おそらく、農地を開拓したご先祖も「この先、子や孫がおなかを空かせることがないように、この地で幸せに生きていけるように」という想いで、農地と農法を遺してくれたはずなのです。

それでも、農業をやめ、農地を手放さざるを得ない。そんな現状を知り、個人ではなく企業として農業に参画することを谷村建設は決めました。

長く受け継がれてきた農法、そして先祖伝来の農地を受け継ぐことで、糸魚川を元気にしたい。大好きな糸魚川を「一生、暮らしたい街」にしたい。

街の未来を想い続けてきた建設会社として農業に取り組み、同じような課題に直面している他地域にも展開できるモデルケースをつくろうと決めたのです。

勉強会の成果。当時は夢物語のように思えたが……。

 

続けていける農業で、糸魚川を守り育てる

勉強会の終了から2年後、谷村建設のグループ会社としてあぐりいといがわは誕生しました。建設は得意ですが、農業はまったくの素人。さらに、建設会社が母体ということで「農地を受け継いでも、そのうち収益物件に転用するのでは……」と地域の農家さんから農業参画に難色を示されることもありました。

しかし、自分たちの新たな挑戦が糸魚川を「一生、暮らしたい街」にできると信じ、縁あって受け継いだ農地で一歩を踏み出しました。



創立当時から使用していたダンボール。想いを込めた 「for Sustainable Agriculture」


現在、「持続可能(Sustainable サスティナブル)」という言葉は広く世の中に浸透していますが、あぐりいといがわは2006年の創立時に「for Sustainable Agriculture(持続可能な農業のために)」をコンセプトとして掲げています。環境面の配慮はもちろんですが、わたしたちが志すのは「糸魚川での暮らしを持続させるための農業」だという意志を込めています。

糸魚川の農地と農法を守ること、そして革新的な農法を取り入れたクリエイティブな農業を続けることで、糸魚川という街そのものの持続可能性を高めていくこと。これが、わたしたちの使命です。

 


糸魚川の未来予想図。持続可能な農業社会の構築を目指します。

フォトギャラリー


谷村建設が長年にわたり手がけてきた姫川港と糸魚川市街地。


谷村社長(当時)と米の師匠、齊藤さん。


創立当時。齊藤さんとともに作業を行うスタッフは建設業から未知の世界へ。


初めて迎えた実りの秋。谷村建設社員とともに喜びを分かち合った収穫感謝祭。